作品を通しての監督からのメッセージDirector's Statement
“豊かさ”は“幸せ”になるための一つの手段でしかない!
この映画は、人の営みの全てを経済的観念で取り込もうとする現代社会へ疑問を投げかけています。大きな産業がなかった福島の浜通りに原発を誘致し、雇用を生み、潤沢な原発関連の補助金で生活を豊かにさせる。一時期、原発立地町の大熊町は日本で一番裕福な町と言われていました。しかし、その結果が今の現実を生みました…世界全体が『豊かさ=幸福さ』と信じて、経済成長第一主義で走り続けています。飽くなき成長主義を唱え続ける世の中でよいのでしょうか? 「豊かさとは…」「幸せとは…」映画を観終わった後に、このことを素直な気持ちで考え直すきっかけにして欲しいと願っています。
“いただきます”の前に隠れている言葉がある…
畜産酪農家は、生活のために命を捧げてくれる牛へ感謝の気持ちを常に持っています。放射能汚染で売り物にならないからといって、牛の”命”を奪うことはできないと考えています。私たちが食事をいただく時に発する言葉”頂きます”、その言葉の前には”あなたの命を”という言葉が隠れているのです。
家畜とはいえ、生き物の命を経済価値で量りにかけて、殺してもいいのでしょうか。殺処分に応じた農家、反原発を旗印に国家と闘う農家、汚染された故郷を子孫のために守ろうとする農家…被ばく牛を人の役に立たせたいと願う農家…、そして消費者を守ろうとする国それぞれに“正当な理由”があります。誰が…何が正しいのだろうか?映画製作を通して、その答えを探し求めるために福島に通い続けました。
フクシマの話題を風化させない!
国はまだ汚染が残る故郷に住民を帰還させるため、除染し、インフラを整備、復興をアピールしています。その予算は5年間で4兆円を超えると言われ、賠償や廃炉を含めた原発事故処理にかかる費用は20兆円を超え、さらに増えようとしています。緑に覆われた阿武隈山地は除染もされずに手着かず。浜通りの住民にとっての大切な飲み水となる大柿ダムの底には高濃度のセシウムが堆積したままです。本当に住民の安全は確保されていると言えるのでしょうか…住民は故郷に帰りたくても、帰れないのが現実なのです。被ばくした牛の命を扱う問題は、時に帰還させられる住民への扱いと重なる部分も見えてきます。反原発を声高に叫ぶ映画でもなく、動物愛護を謳うでもない、ありのままのフクシマの5年間を記録しました。
「被ばく牛と生きる」は観る価値のある映画だろうか…
本当に価値ある映画作りをしてきたのか?このことは常に自ら問い続けてきた課題です。原発事故から6年後に出てきた映画なので、どこかで見たような、どこかで聞いたような…と思う方もおられるかもしれません。しかし榛葉監督と二人、半年以上も編集を再構築し、ストーリーテリングを磨き上げてきたので、自信をもって“観てください”と言える作品に仕上がっています。
独立映画鍋という映画人が集まったNPO団体の設立趣旨に、「自分の生活、あるいは人生を犠牲にして一本の映画を作り上げるということは、決して美談ではなく、文化の貧困です。」とあります。
制作過程では英語版も同時に作りました。英語版はクールジャパンの助成金を使って作成しました。映画が完成に近づくにつれ、プロのナレーターや翻訳家など多くの協力者が現れ、助けられてきました。
今、日本映画が海外では評判が低いという状況の中、日本のインディペンデント映画がどこまで世界に通用するのか挑戦も始めました。アメリカの月間表彰ですがHollywood International Independent Documentary Awardsから、最優秀となるエクセレント賞を獲得。日本以上に作品の物語性を重要視する海外で評価されたことは、作り手としての自信につながりました。
さらに2017年11月。国内最高峰のドキュメンタリー映画祭に招待上映。さらにドイツ・ベルリンで開催されたウラン国際映画祭にも招待上映され、グランプリに次ぐオーディエンス賞を頂きました。また帰国後は、平和・協同ジャーナリスト賞を受賞いたしました。このことは作品が放つ高いメッセージ性が評価されたのだろうと思います。本作品は作り手である私を超えて、一人歩きを始めました。
浪江町井出地区の民家 2015年12月
存在することが許されない「いのち」が映画のテーマです!
被災した牛が殺処分されていく…
《いのち》が軽んじられる福島の現実は
福島の被災者の姿と重なって見えてくる…
餓死した牛たち 2011年11月
殺処分されクレーンで埋葬場所へ運ばれる牛 2013年9月
故郷を追われ避難する住民へ棄民政策が徐々に襲い掛かる…
降り注いだ放射能により、15万人を超える住民が避難を強いられました。国は住民の安全を考え、すぐに30km圏内を封鎖。その後原発から20キロ圏内は警戒区域として立ち入りを禁止しました。20km圏内にいた家畜をはじめとする多くの生き物たちが餓死していきました。しかし無人となった警戒区域の中で、生き延びた“いのち“もあったのです。
ペットである犬猫や、伝統行事・相馬野馬追に必要な馬は、動物愛護団体の要求もあり、圏外へ連れ出すことが認められました。しかし経済動物である牛や豚、鶏は汚染物を市場に流通させない名目で、区域外への移動を禁止、全頭殺処分に同意するよう農家に求めました。大半の農家は殺処分に仕方なく応じましたが、十数件の農家が同意しませんでした。狂牛病や口蹄疫と違い、放射能に汚染されただけでは、食べなければ直接人間に害を与えない。
さらに人間の役に立たないから殺すという理不尽さに納得できなかったからです。チェルノブイリ事故後、ウクライナ政府は軍隊に命じ、住民と共に家畜も区域外に移動させ保護しました。市場に出せなくても、殺すには忍びないと農家は覚悟を決めます。殺処分を決めた国、それに応じた農家、反対する農家、それぞれが正しい決断をしたのですが…そこには、理不尽さ、社会の歪みと影があったのです。
貨幣経済に冒されてしまった日本人が生き物を慈しむ心…
賠償金は既に支払われたとはいえ、被ばく牛をこの世から、全て消し去る必要はあるのでしょうか?
「被ばく牛は原発事故の生き証人!」「牛が生きている限り、原発事故を忘れることはない!」と農家は言います。放射線専門家も、「被ばくした生き物を経過観察することは、人類初の低線量被曝の解明に通じる研究だ」との意義を唱えています。
被ばく牛の研究を通して、人間を放射能から守るという発想に、なぜならないのか…国は全てをリセットしてから畜産業を再開させるという考えをもっています。しかし数十年間続く放射線量が残る帰還困難区域で、いつ事業を再開できるか見通しはありません。被ばく牛の殺処分は、原発事故の“証拠隠滅”に等しいのではないだろうか…
事故から5年が経過。牛を生かし続けていた農家も、長引く避難生活、高齢化、さらには資金不足と次々に脱落、今は5軒の農家が約600頭の牛を守るだけになりました。岩手大学、東北大学、北里大学等の研究者が集まり、空間線量がいまだに平均15μ/Svもある浪江町・小丸地区で、3年以上にわたる被ばく牛の調査研究が続けられています。
20兆円という途方もない費用が福島につぎ込まれる中で、この研究に国は予算をつけません。農家も研究者も被ばく牛を人間のために役立てたいとの思いから、私費を投じてきました。賠償金を切り崩して餌代に充てる農家と手弁当の研究者は、それぞれが限界に近づいています。